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  大学入学共通テスト(新テスト)試行調査(プレテスト)2回目の古文  2018年11月

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源氏物語 手習から

 あさましうもてそこなひたる身を思ひもてゆけば、宮を、すこしもあはれと思ひ聞こえけむ心ぞいとけしからぬ、ただ、この人の御ゆかりにさすらへぬるぞと思へば、小島の色を例に契り給ひしを、などてをかしと思ひ聞こえけむとこよなく飽きにたる心地す。

けしからぬ、飽くなど多義に使われる言葉だが、「すこしも」「などて(どうして)+けむ(たのだろう)(か)」という否定や疑問のもつ感情をおさえる。前書きなどから、匂宮への愛情がふっきれて常心に帰ったらしいと読む。


初めより、薄きながらものどやかにものし給ひし人は、この折かの折など、思ひ出づるぞこよなかりける。
かくてこそありけれと、聞きつけられ奉らむ恥づかしさは、人よりまさりぬべし。

前書き、注からもう一人の男、薫について。前書きに「思い人」とあるが、こよなく思い出されるのだから、それなりの関係なのだろうと推測。



さすがに、この世には、ありし御さまを、よそながらだにいつか見むずるとうち思ふ、なほわろの心や、かくだに思はじなど、心ひとつをかへさふ。

さすがに=そうは言っても、御さま=敬語、だに=せめて、むず=意志、よそながら=出家に関係してるのか?薫の文脈が続いてるようだが、ここは難。








第二段落


 からうして鶏の鳴くを聞きて、いとうれし。母の御声を聞きたらむは、ましていかならむと思ひ明かして、心地もいと悪し。
供にて渡るべき人もとみに来ねば、なほ臥したまへるに、いびきの人は、いととく起きて、粥などむつかしきことどもをもてはやして、「御前に、とく聞こし召せ」など寄り来て言へど、まかなひもいと心づきなく、うたて見知らぬ心地して、「なやましくなむ」と、ことなしびたまふを、強ひて言ふもいとこちなし。

鶏が鳴くのは現代文常識?で朝、現実に戻ったようだ。心地が悪く食欲がなさそうだ。「むつかし」「こころづきなし」「うたて」「こちなし」などこの環境が嫌なのだろう。



下衆下衆しき法師ばらなどあまた来て、「僧都、今日下りさせたまふべし」、「などにはかには」と問ふなれば、「一品の宮の御もののけに悩ませたまひける、山の座主御修法仕まつらせたまへど、なほ僧都参らせたまはでは験なしとて、昨日、二たびなむ召し侍りし。右大臣殿の四位少将、昨夜夜更けてなむ登りおはしまして、后の宮の御文など侍りければ、下りさせたまふなり」など、いとはなやかに言ひなす。

話が展開し、「僧都」という登場人物の話題となっている。「僧都参らなくては験なし」と言っている有能な人物そう



恥づかしうとも、あひて、尼になし給ひてよと言はむ。さかしら人すくなくてよき折にこそと思へば、起きて、「心地のいと悪しうのみはべるを、僧都の下りさせたまへらむに、忌むこと受けはべらむとなむ思ひはべるを、さやうに聞こえ給へ」と語らひたまへば、ほけほけしううなづく。

恥ずかしくても、合って尼にしてほしいと言おう。からの展開





第三段落



例の方におはして、髪は尼君のみ梳り給ふを、別人に手触れさせむもうたておぼゆるに、手づから、はた、えせぬことなれば、ただすこしとき下して、親にいま一たびかうながらのさまを見えずなりなむこそ、人やりならずいと悲しけれ。

親に「いま一度」「かうながらの様」を見せられないーーのが悲しい。さっきも母親のことが出ていた。


いたうわづらひしけにや、髪もすこし落ち細りたる心地すれど、何ばかりもおとろへず、いと多くて、六尺ばかりなる末などぞ、いとうつくしかりける。筋なども、いとこまかにうつくしげなり。

髪がうつくしい、浮舟自身が鏡で見てそう感じているのか、客観描写なのか。


「かかれとてしも」と、独りごちゐたまへり。

この部分の読解については問5に詳細がある。




あさまし=驚きあきれる・意外である
そこなう=前書きにある自殺未遂のことだろうと推測。

「思ひもてゆけば」前書きにあるように、我が身を振り返っている。

「けしからず」=は打消「ず」がついてるのに「怪し」の反対の意味にならず、やはり否定的意味を持つ例。現代語からも推測できるのと、注釈や文脈をもとに読解。
匂宮をすこしでも「あはれ」と思ったのは良くなかった。

飽く=満足するの意もあるが、ここでは「どうして『をかし』と思ったのだろう」とあるので、もう十分飽きたの意。

(匂宮の「小島の求愛」を)どうして「をかし」と思い申し上げたのかもう沢山だという気分だ。








「薄いながらものどやかな」(愛情が薄い?淡々としてのどかな)薫のことを、あの折この折に思い出すのがこよなく(良い)。
急に対比になっている文脈をつかむと、どうやら匂宮から薫にシフト。


「かくてこそありけれ」と聞きつけられ=「こうであったのだ」と聞きつけられ。薫の話での文脈、恥ずかしい、どうも自殺未遂の件。仮定の話。
「ぬべし」(完了+推量)=きっと(恥ずかしさが勝るに)ちがいない。

前書きや注に薫についての言及が「浮舟は薫の思い人」とあるが、どういう関係なのかがよくわからない。片思いのように捉えると意味がつかめなくなる。実は匂宮にも言い寄られたが親族が薫と結婚させたのであり、薫と浮舟は夫婦。夫は多忙、通い婚で宇治までなかなか行けない中、匂宮と「不倫」となったわけだ。





薫の文脈が続いているようだ。

見むずる=見る+意志(むず)。見よう。

「だに」=せめて(最低限)・さえ(類推)。
よそながらだに=(出家するつもりだから)せめて他所から(いつか見よう)。かくだに思はじ=それさえ思うまい。薫に会おうとすら思うまい。

ありし様を、せめてよそながらいつか見ようと思う=薫を他所から見ようとする〜のは、わろ(わる)の心ではないか。
かへさふ=現代語から推測する。帰る、返す、替える。だったら思い返すか思い替える程度の意味だろう。設問がヒントになる。









かろうじて一夜が過ぎてうれしい。

母の御声を聞きたらむは、=む(仮定)。第一段落はすべて浮舟の物思いだった。男性関係に翻弄され入水までしたことをが頭をめぐり、母の声を聞きたいようだ。



粥など「むつかし(=むつかる・不快)」まかないが「こころづきなし(嫌い)」とたいそう不機嫌をあらわにしている。


なやまし=病気、食べ物を断る口実だろう。ことなしび=現代語から推測。無難に。食事を断る。

しひ(強い)て言うもいとこちなし=田舎の人だから無理強いするんだろう。「こち(骨)なし」=無風流。


「いびき」も貴族社会で育った浮舟から見れば、いびきがうるさいほど近くに人が居て窮屈な感じがするし、下品な音なんだろうな。
















下衆下衆し=ここでも、この環境になじめず、嫌っている。


会話文は地の文より難しい

「僧都が(山から)降りるだろう」「どうしてにわかに?」

その答え。
「一品の宮が病気で、座主が修法つかまつったが、
なお僧都が参上しなくては験がないと、
昨日二回お召しがあり、四位少将が夜更けに登山、后の手紙もあったので、
(つまり、しつこく呼ばれたので)
(僧都が)降りなさる」

と骨子を捉えるように読む。源氏物語中の会話文としては、まだ説明的でわかりやすい方。



(古文常識)僧侶は医者のように仏事によってもののけを退散させていた。そして験の効力も治療師によると考えられていたんだな。









てよ=完了助動詞つ命令形。だから「~てしまえ」尼になしてしまってください。

さかしら<さかし(賢し)=賢い、利口ぶっている。忠告してくる誰かに邪魔されずに出家しようとしているようだ。





ほけほけし=ボケ、呆け。この「いびきの人」を浮舟がよく思ってない描かれ方から推測できる。
















(古文常識)ながーい髪は女の命。出家で切ることになる。


かうながらのさま=かくながらの様=文脈から、尼になる前の髪の長い様。
見えずなりなむ=「見ゆ=見える(見せる)(上一段の見る=見る)」「なり」という四段(成る)の連用形に続く。「な」=強意の助動詞(ぬ)の未然形。「む」=推量(む)の連体。「なむ」で「きっと~なるだろう」。
親に今一度このままの様をみせられなくなってしまうのが。

ひとやりならず=ひとのせいにできず。出家は自分の願いであるので、親に自分の最後の俗の姿を見せられないのが心残り。古文重要単語でもないが意識高い系である源氏物語にはよく出てくる。

悲しけれ=今までの調子だと「悲しいと浮舟は思う」と書くはずだが、筆者の感情移入が入って「悲しいことだ」のようになっている。語りとして訴えかける感じだ。語り文学の平家物語などにもよく出てくる。源氏物語では時々登場人物を超えて作者の感想や見解が「草子地」として述べられる。

















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