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国語読解 選択肢問題


選択肢の迷妄

 選択肢Bが正しいと信ずる生徒に向かって選択肢Cこそが実は正しかったのだと説得し、改心させる程難しいことはない。Bを主張しBにとらわれている生徒を説得する過程では、うっかりすると正答Cの正しさを信じるはずの家庭教師までが、そうかまあそこまで言うならBでも良いのかもしれない出題も多様な可能性を考えたのであろうそもそも他人の人生いや点数のことでもあるから余計な口を挟むのもどうかと道に迷ってしまう。紛らわしい選択肢に迷う中から「最もあてはまる」ひとつを選び、あるいは正答をうかつに見逃さないためには、本文に即し外れることなく偏らず核心をズバリ突き、隠れたまたは暗黙の情報や常識に目を配る必要がある。逆に、とらわれたり、逃したり、逆らったり、文字面を追ったりしたのでは、はずしてしまうのは人生と同じだと言わねばならぬ。それでも信じるものは救われる、囚われの自我を捨て断捨離の道を進むには頭の掃除からはじめるしかあるまい。

全体的な把握
本文のそこから逸れない

 良い選択肢問題は、読者が見逃しかけていた点や問題の隠れていた本質を「ああ、そういうことか」と発見させてくれたりもする。問題の把握が不十分だったのだし、そもそも読解とは発見だ。

消去法
複数選択肢をはかりにかける

 小学校「よいものはどれですか」から、センター試験「最も適当なものを選べ」まで、、、他の設問同様に、「聞かれたこと(設問)にまっすぐ答える」「本文に書かれていたかどうか」「文脈をはずさない」「言葉の定義・意味に慎重に」などは良く生徒に注意することだ。そして、「選択肢を読む」というのが、本文を読むのと同じくらい大切だ。

 消去すべき選択肢とは、本文に書かれてない、意味が違っている選択肢をはじめ、余計な事が書いてある、部分的、意味が的外れ、筋違い、拡大解釈、あるべき言及がない、一般論すぎる、ニュアンスや意味がおかしい、なんかちょっとちがうんじゃない?、などなど。長い選択肢だと間違いの該当部分というものがたいてい一二箇所発見できるか怪しい部分がある。うっかり見逃さないよう、全体を見回すよう注意して解く。複数の選択肢で迷う時に迷妄に陥らないよう、案外第一印象が正しいかも。

答えは用意しておく

 選択肢を読む前に自分なりの解答を作っておかない人が意外に多いようだ。選択肢とはいえ、設問に答えるのだから、面倒くさい選択肢を読む前に自分で答えを作っておけば(小説ではだいたいのイメージとして、評論はやや明確に)あとは自分のと同じ考えの選択肢を選べば済むだけのはずだ。加えて、あらかじめ傍線部について考えることにより、文脈ずれや尋ねられたことから思考が離れてしまうなどのうっかりも防ぐことができる。もちろん、意外な選択肢に会うのも楽しみにはしておこう。
 本文理解後にいよいよ選択肢を読む。ここで迷わず一択の場合もある。また、全文を読まずとも文末でおおまかに判定できる場合が時々ある。それから選択肢をよく読み、また消去法などを活用して余計なものが入ってなく、理解した本文に合いそうな選択肢をふたつみっつ選ぶ。次に、選択肢文章の部分を秤にかけて本文などと読み合わせて吟味だ。

選択肢にも性質がある
細かいことを聞いてくる

 「この問題はいつもと別の先生が作ったに違いない」。解答者は意識的にも無意識的にも選択肢の性質について考えるだろう。よくあるのが、おおまかに聞いているのか、細かく聞いているのかという点。本文を咀嚼したうえで読解の内容を問うものが多い中、部分的意味内容を問うてくるものがある。後者は、私大の入試にはよく出るし中学受験にも見あたる。センター試験でも時に後者の色が濃い時がある。本文に直接的な対応関係があり、見当をつけてくまなく探さなくてはならないので「細かいことを聞いてくる」という印象が強いうえに時間もかかるし問題作成者の性格の悪さを呪いたくなる。しかし、現代文ではなく古文や英語で考えるとわかりやすい。古文の読みとりを試すには、文法や単語の意味など細部の理解をチェックすることになる。畢竟、今の学生にとってみれば現代の文でも古文のようなものか。他に、消去法的な問題や意外な落とし穴問題、、など選択肢問題自体を色々分類はできそうではある。

吟味する
選択肢と本文の双方向で考える

 小学生の「詩」の問題の選択肢などは解きがいのある問題のひとつだが、生徒が「うまく説明はできないがこの選択肢がいい」と解いたりするのは直観的で全体的な把握の結果といえるだろう。それができるためには「落ち着いて読む」くらいしか指導の策はなさそうだが、あるとすれば次のようなのはどうだろう。選択肢を吟味することは、選択肢に書いてある内容を理解し、本文とつきあわせることだ。それは、選択肢問題を「双方向」で考えることでもある。たとえば「この詩にふさわしい題名を選べ」という問題を解く時に、本文から要約するだけでは問題は解けなくて、選択肢から「この選択肢だと、本文はこんなになるはずだ」と考えるようなものだ。本文を従に選択肢を主にして考え直して、中心をつかむ。

選択肢の迷妄、ふたたび

 中には、これって「その人固有の思考」を試す心理検査かい、という設問もある。小学生より中高生ほど自分の欲望にそった答えに○をしそうだ。選択肢式の心理テストが人気があるのは、ものの見え方が人によって異なるのが面白いのも要因だ。文化によって見方、見え方が違うこともある。しかし、国語は元々は他者が見ている文化を理解する勉強だともいえるので、このへんは修行を積む必要があるかもね。

私は、選択肢問題を一人で解く時は正解するのに、生徒を前にして解くと間違えることがある。これは仕事や立場に「とらわれて」全体的把握ができなくなるからと、弁解しておこう。他の出題を解くより選択肢を解くのは集中と冴えが必要になるとも言える。